6月27日、東京・三田を通りかかって、慶応大学の立看板を見て驚いた。
2009年度 三田史学会大会:
シンポジウム「井筒俊彦と前嶋信次―日本におけるイスラーム研究の源流を探る」
とある。
ご両人とも故人だが、希代(やや失礼な表現かもしれないがが、一番ふさわしいように筆者には思える)のイスラム学者。井筒氏はイスラム教徒の「生活絶対訓」であるコーラン(クルアーン)の訳者である(岩波文庫、上・中・下)。
写真1)ジェッダのスークにある「Bukhari Store」
筆者は、そこにあるいくつかの基本事項を以て、2003年3月21日の米英軍イラク侵攻開始の翌日、産経新聞で「(文明でなく)文化の衝突」と定義し、「勝てない戦いからは直ちに撤兵を求めたい」とアピールした。
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「イラク侵略満三年」―市民記者の主張 2006/03/22
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文化の衝突――「勝てない戦い」からは、直ちに撤兵を求めたい 2005/12/26
井筒氏への追悼文は、「アラベスク」として「一六の話」(司馬遼太郎、中公文庫)に収められている。同書の附録「二十世紀末の闇と光」という対談には、語学の才能に裏打ちされた博学ぶりが記されている。その出だし「『韃靼人』との出会い」からして、実に数奇な物語(実話)であり、ただちに引き込まれる。
そして、井筒氏とともに、イスラム僧イブラヒーム翁に一緒に会いに行ったのが後者、前嶋信次氏。「昭和16年」(1941年)とある。イブラヒーム翁は当時の帝政ロシア領カザン生まれのダッタン人。独立運動に従事してロマノフ朝政府に追われ、各地を歩いて、90歳になんなんとする1933年に再来日。代々木のモスクに居を構え、そこの大僧上として一生を終えたという。
写真2)トゥルキスターニ氏と筆者
ことの次第は「アラビア学への途―わが人生のシルクロード」(NHKブックス)という回顧録にも記されている。実は、同書の「さらばベイルート!」の章に、筆者が登場するのだ。
(p.140から引用) 昭和50年の5月、私はサウディ・アラビアの首都リヤード大学の招きで彼の地を訪れた。慶応大学卒業の方が二人おって、私を夕食に招待して下さったが、その時、日綿のH君(これが筆者=浜地)が「私は不思議なアラビア人に逢ったことがある」と話しはじめた。何かの用でベイルートにでかけ、またアラビアに帰ろうと思って空港にいった。
おりからメッカ巡礼で、飛行機に乗ろうとすると巡礼団のため雑踏していた。足の少し不自由なアラブの老人が人波にもまれて難渋しているのを見かねたH君は、学生時代に応援部で活躍した元気者とて、黙視するに忍びず、大声叱咤して、殺到する人々を制し、その老人を扶けてタラップを上がらせてやった。
それから、機内でいろいろと話しあったが、くだんの老人は驚いたことに日本語を流暢に話して、身の上話をしたというのである。
――自分は若いころ、日本に憧れて、あの国で数年間を過ごしたことがある。また学生たちにアラビア語を教えたこともあるなどなど。(引用終わり)
そのアラブの老人、タシカンディー氏は何と、前嶋氏が終戦後まもなく、新橋で会ったことがあるとのことで、30余年ぶりの再会がジェッダで果たされた。そして、それがきっかけで今度はベイルートで、昔、新橋の事務所で4年間も机を並べたアジュローニというダマスカス生まれの当時27歳のクリスチャンとも30余年ぶりで再会したという感動的な話に繋がる。昔の美少年は、歯も少し抜けた白髪の老人となっていたとのことだが――。
写真3)シンポジウムにおける3人の碩学
タシカンディー氏は「そごう」デパートのエレベータ・ガールを見染めて結婚したが、筆者が会った時点では、彼女は米国サンフランシスコに居住してると言っていた。
同書にあるごとく、昔からの国際港・ジェッダには、中央アジアの町々から移り住んだ人々の子孫が住んでいた。従って、サマルカンディーとか、ブハーリとかタシュカンディーと名乗っているのが多い。商才に長けた彼らは、スーク(市場)で軒を連ねている。写真1には「Bukhari Store(ブハーリ・ストア)」とあり、ウズベキスタン、ボハラの出身者だ。
今般、駐日サウディ・アラビア大使として赴任来日した、トゥルキスターニ氏もまた、中央アジアの出であろう。拙稿
「サウジアラビア皇太子のメッセージ」(2006/04/08)のうち、写真7が後のトゥルキスターニ大使、写真2はジェッダでのトゥルキスターニ氏と筆者(2004年6月)。みな、我々と同じ「アジア顔」である。
先日、6月6日、日本のサッカー・チームがアジア最終予選で辛勝して2010年W杯南アフリカ大会進出を決めた相手・ウズベキスタンの首都がサマルカンドだ。人気のダルビッシュも中東に出自がある。
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「ダルビッシュ」に思う野球選手と中東地政の関係 2008/03/17
世界混乱の原因の最たる中東問題。イランにおける不穏な動き、トルコのEU加盟問題。我々日本人にはいかにも遠い世界の話に映る。しかし、異文化理解とは「(お互いに)違うのだ」ということの理解だと、筆者は主張している。軽々には言えないが、その違いの理解を前提とすると、逆に縷々述べた共通項とか人間味とかいう辺りに一つの解決策の根があろう。
イスラム=原理主義=テロと大いに誤解されているが、それは文字通り時空を超え、ロマンに満ちた歴史物語、地勢研究、ヒューマン・ドラマなのである。
折しも、オバマ政権によるイラク撤退が報じられ、同時にアフガニスタンへの力の移行が伝えられている。
ブッシュ政権の中東政策の誤りは「地域(文化)研究」欠如にあるというのが筆者の判断だが、このようなイスラム研究、中東研究が大いに広まってほしい。(なお、布教活動かと誤解があってはいけないが、筆者はイスラム教徒ではない)
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いま「9・11テロ」の真相解明を期待する 2008/01/22
それにしても、2009年度
三田史学会大会での3時間にわたるシンポジウム。まったく飽きさせない、波乱万丈の歴史、ワクワクする人物史であった。その報告・まとめが待たれる。
【写真3 スピーカのお三方の演題と紹介サイト(左より)】
1、「イスラーム学事始の頃の井筒俊彦」
坂本勉・慶應義塾大学文学部教授
2、「前嶋信次『アラビアン・ナイト』原典訳への道」
杉田英明・東京大学大学院総合文化研究科教授
3、「今なぜ前嶋信次か、井筒俊彦か」
家島彦一・早稲田大学教育・総合科学学術院特任教授
司会
長谷部史彦・慶應義塾大学文学部教授
【関連サイト】
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前嶋信次
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井筒俊彦
【アフガニスタン関連拙稿】
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アフガニスタン侵攻失敗の教訓 2007/01/16
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イスラームの花嫁 2005/07/07
(下の写真はクリックで拡大します)
参考文献 「コーラン」(井筒俊彦訳、岩波文庫)
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参考文献 「三田文学 特集―井筒俊彦」(2009年冬号)
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参考文献 「十六の話」(司馬遼太郎、中公文庫)
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参考文献 「アラビア学への途」 (前嶋信次、NHKブックス)
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参考文献 「ムスリム・ニッポン」(田澤拓也、小学館=第4回「週刊ポスト」「SAPIO」21世紀国際ノンフィクション大賞の優秀作受賞)
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